日本一低い山と言われた天保山
世界最大級の水族館、海遊館の近くの天保山公園内、標高4.53mの天保山は、1996年に国土地理院地形図により山として掲載され、日本一低い山となっていました。しかし、宮城県仙台市の日和山が、東日本大地震の津波の影響で低くなり、国土地理院の行った計測で3mとなり、2014年4月以来、日和山が日本一となったそうです。
この付近は海遊館や天保山マーケットプレースが有名で、ほとんど話題にならないですが、天保山のある天保山公園内やその付近には、歴史的に見ても興味をひく所がありました。
明治天皇観艦之所碑
江戸幕府、最後の将軍徳川慶喜が天保山から去った後、1868(慶応4)年3月26日、500年ぶりに京都を離れた明治天皇が軍を率いて大阪に来られ、天保山台場から各藩の軍艦をご覧になったそうです。これが日本で最初の観艦式となり、この時の記念碑「明治天皇観艦之所碑」が立てられたようです。
天保山の浮世絵
天保山は安治川の川底に溜まる土砂を積み上げてできた山で、当時20mほどであったようです。そして、この山が大阪湾から安治川に入る時の、かっこうの目印になり「目印山」と呼ばれていたそうです。やがて、山に桜や松などが植えられ、茶店ができ、舟遊びをする人々が集まり、歓楽の場へと発展し、大坂有数の行楽地になっていったようです。
その様子が公園に壁面タイル画で設置されていました。
本朝名所大坂天保山は諸国名所風景を得意とした歌川(安藤)広重作で、
大阪随一の新名所となった天保山の遊覧船での賑わいが描かれています。
「浪花天保山風景」は浮世絵師‘’歌川貞升‘’(うたがわさだます)が1833年(天保4年)に描かれたもので、当時の天保山周辺の賑わいがよくわかります。
天保山渡船場
天保山渡船場は、USJのある此花区桜島の間、幅約400mほどの安治川(運河)を渡ることが出来る大阪市営の渡船の乗り場となり、地域の方々の生活路線となっていて無料で乗船できるようです。
この渡しは、大阪港の繁栄を企図した大阪市が港湾振興策の一環として明治38年に始めたもので、当初は天保山、桜島、築港大桟橋の間を三角運航し利用者も多かったようです。昭和元年には現在のルートになり、桜島付近の重工業化が進んで通勤用としても利用されたようですが、令和2年度の利用者は、1日平均約600人が利用しているそうです。
航行時間わずか3分ほどですが、USJと海遊館とつなぐ航路となっていて、USJの翌日に海遊館に寄るというルートもできる、とても便利な渡船であるようです。
春には桜が
天保山公園には桜並木があり、これからが楽しみな季節です。今年の桜見は天保山で桜を撮影して、海遊館や大観覧車というのもいいかもしれません。