久宝寺は大阪八尾市の西側に位置する。久宝寺の地名のはじまりは、古くからある許麻神社の境内に、宮寺として聖徳太子建立の久宝寺観音院があったことによる。久宝寺寺内町が注目されるよになったのは、碁盤の目状の道路網などの町割りが残されていることで、歴史的価値が示されたためであったようです。
改札を出て、左へ曲がり、右の階段を降りると久宝寺寺内町へ、ちなみに左を降りると久宝寺緑地に行くことができる。そして階段を降りると久宝寺寺内町の看板があり、誰にでも行けそうな気がしました。
看板によると、寺内町には10分で着けるらしい。そのまま、7分くらい真っ直ぐ進んでいくと信号があり久宝寺の交差点に出る。信号を渡って右斜めの、少し狭い道を進んで行くと右手に許麻神社ある。そしてさらに進んで行くと、近松山顕証寺にあたる。その角に案内板があって詳しい説明がされている。
顕証寺の西側に路地があり、そこに写真を撮っている方がいた。もしやここが有名な所かなと思いつつ撮影が終わるのを待って、進んで行くと、国登録有形文化財、浅野宅住宅とあり、しばらくこのあたりで撮影することに。
EOS M5 15-45mm ISO感度オート 1/400 F4.5 +1補正
国登録有形文化財 浅野宅住宅
主屋に、嘉永元年の祈祷札が発見され、乾蔵とともに、江戸時代末期の建築として認定され、平成16年11月に、主屋、乾蔵、巽蔵、東納屋、南納屋が国登録有形文化財として登録。住宅は当時の建築様式を良く保っており、5棟の建造物全体が、寺内町の屋敷景観を良く残し、久宝寺寺内町で最も古い町家の一つとして、貴重なものとされているようです。(参照-八尾市教育委員会)
浅野宅住宅をこえたところに細い路地があった。そこにも古い住宅が残っていて、そこには木製の牛乳入れが木製であった。景観を損なわないよう、配慮されているのには少し感動した。
顕証寺のほうに戻り、顕証寺の北側を進んで行くと、八尾市まちなみセンター寺内町ふれあい館がある。
寺内町ふれあい館は、寺内町の歴史的遺産の継承と八尾市のまちづくりについての地域活動の拠点として建てられたものらしいが、コロナの影響により、催しを縮小しているように思えたが、今年の「久宝寺寺内町燈路まつり」が中止されたため、「燈路まつりにちなんだ、‘’紙とうろう型“風鈴など、風鈴作りの無料作り等が行われた。
今回、1時間程しか時間がなく、久宝寺寺内町のほんの入り口にしか過ぎませんが、機会があれば、奥のほうまで写真を撮ってご紹介したいと思います。詳しくは久宝寺寺内町のまちなみホームページまで
ちなみに八尾市のマンホールは公共下水道事業施行30年を記念し、デザインを公募によって作られたものらしい。八尾を伝承の地とする「河内木綿」の生産の様子を表したもので、八角形を取り巻くように、河内木綿の実と市の花「菊」が描かれている。菊の花は河内地方の市民にしたしまれているらしい。マンホールの写真は、最近インスタグラムでもあげられるようになって、全国のマンホールを撮り続けている方もいるようです。その地域のことがわかり、すぐに撮れるので写真に撮っておくことをオススメします。