ある用事で京都に行くことになったのですが、それがなんとあの世界遺産二条城の近くだったのです。用事が昼すぎで終わったので、これは滅多にない機会だと思い、行ってみました。
地下鉄「二条城前駅」を降りて地上に出ると真っ先に見えるのが、東南隅櫓です。
東南隅櫓(重要文化財)
二条城の外堀の四隅は、見張り台としての隅櫓が建てられていたが、現在は西南隅櫓と東南隅櫓だけが残っているそうです。
この隅櫓を右手に見て真っ直ぐ進むと、チケット売り場があります。何も調べていなかったので1,000円を出して払おうと思うと、なんと1,030円とのこと。「高い!」思わず、やめようかと思ったのですが、世界遺産なのだから仕方がないと思ったのと、こんな機会はないと心を入れ直して入場しました。
東大手門(重要文化財)
入り口は、重要文化財の東大手門で、1662年(寛文2年)頃に建てられたと考えられているみたいですが、寛永の二条城行幸時には天皇を二階から見下ろさないようにとの配慮から、一重の門の立て替えられたことがあったようです。
東大手門を入るとすぐ右手には番所があり、平時の二条城は、幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士たちが、1組50人、2組常駐し、彼らの詰所の一つとなっていたそうです。また城内には12棟の番所があったそうですが、今はこの番所だけになっているみたいです。
唐門(重要文化財)
順路に沿っていくと、案内の表紙になっている、唐門にたどり着きます。この唐門は、二の丸御殿の正面で、切妻造、桧皮葺の四脚門となっていて、前後に唐破風がついています。長寿を意味する「松竹梅に鶴」、「唐獅子」等、豪華絢爛な極彩色な彫刻となっています。
唐門は、NHKの「プロフェッショナルの流儀」で唐門を当時の色に修復する職人さんの特集を放映していたようで、2013年の修復工事によって色鮮やかな当時の姿が蘇ったようです。
国宝 二の丸御殿
唐門をくぐるとすぐに見えるのが、国宝、二の丸御殿です。
「二の丸御殿」の内部は撮影禁止となっていて、残念で仕方がないのですが、この「二の丸御殿」は江戸初期に完成した書院造で、日本建築史上重要な遺構です。江戸城、大坂城、名古屋城の御殿が失われて、国内の城郭に残る唯一の御殿群として国宝に指定されました。
内部は簡単には説明できるわけがないのですが、一言でいうと、「当時の権威の象徴」と言うべきか、素晴らしいの一言です。まさしく「大河ドラマ」以上の美しさです。
中でも、狩野探幽一門が総力をかけて制作した、障壁画や遠侍、式台、蘇鉄の間、黒書院、白書院、大広間の6棟があり、中でも大政奉還が行われた大広間では人形が置かれており、当時の様子がうかがえることができます。
京都所司代屋敷で火事等の緊急事態を知らせるために使われていた釣鐘。慶応3年(1867)に京都所司代が廃止されて後、二条城にうつされたらしい。
二の丸庭園(特別名勝)
二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から鑑賞できる二の丸庭園。
池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、1626年(寛永3年)の後水尾天皇行幸のために改修されたようです。
本丸櫓門(重要文化財)
本丸を防御する重要な門。寛永3年(1626)頃の建築で、戦時には木橋を落として敵が渡れないようにし、銅板で覆われた扉を閉めて火器に備えたようです。
寛永行幸の際に天皇は天守に登られたが、その時の木橋は二階橋で、天皇は二の丸御殿から橋の2階の畳廊下を通って、地上を歩くことなく天守まで行かれたそうです。
本丸御殿(重要文化財)、本丸庭園
本丸櫓門を入ると「本丸御殿」があるのですが、残念なことに、修復工事中ということで、全く見ることができない状態でした。この修復中が終わり、公開されるのが2024年以降になるらしいです。
内堀に囲まれた本丸にある「本丸御殿」は、1893年(明治26年)に京都御所の桂宮御殿を移築したもので、貴重な宮家の御殿建築の遺構として重要文化財に指定されているそうです。
「本丸御殿」南側には「本丸庭園」がある。明治天皇の行幸の際に、枯山水庭園から大改造された庭園で、東南隅に築山を配し、芝生を敷き詰めて曲線的な園路を設けた優美な造りになっています。
天守閣跡
本丸には天守閣跡があり、天守閣は寛延3年(1750)、落雷により焼失し、再建されることなく現在に至っているそうです。
天守台の大きさは、石垣の高さ約18m、広さ約427㎡。二条城の天守閣は、寛永3年(1626)、伏見城から移築されたと考えられ、屋根は5重、内部は地上5階、地下1階の大きさで、屋根には瓦型の銅板が葺かれていたようです。寛永行幸の時、後水尾天皇は2回天守閣へ登られ、ここが、天皇が登った唯一の天守閣と言われているそうです。なお、築城当初の二条城には、別の場所に天守閣があったようで、今の清流園のあたりであるそうです。もとは大和郡山城にあったものと考えられており、寛永年間に城域を拡張するに際し、淀城へ移築されたそうです。
梅林
本丸を出た内堀の南側には「梅林」があり、約100本の梅が植栽されていて、白梅、紅梅、桃色梅、しだれ梅などがありますが、大坂城公園梅林に比べると本数は、少ないですが、木の大きさや形、枝ぶりが京都らしいというか、何か上品な感じがしました。
北中仕切門(重要文化財)
内堀の南側にある南中仕切門と対になっていて、規模もほぼ同じであるようです。寛永3年(1626)頃の建築で、本丸西門の通路を塞ぐ防衛上重要な門。
門は、小振りで西門より少し小さく、背面の屋根だけが延びるいう変わった構造となっているようです。門の上に立つ土堀と石垣に囲まれていることから「埋門」と呼ばれ、埋門の形はこの他に、石垣に囲まれて開口だけのものもあり、姫路城が有名で、高松城にもあるそうです。
清流園
京都の豪商・角倉家の屋敷跡から建築部材、庭石、樹木を譲り受け、1965年に作庭された庭園。
加茂七石。八瀬真黒石・鞍馬石・畑石・糸掛石・紅加茂石・紫貴船石・ふぐろ石・を言い、これら七いしが一堂に揃って見られる石庭が七条大和大路角にもあるそうです。
「清流園」は香雲亭、茶室和楽庵がある和風庭園と芝生の洋風庭園からなる和洋折衷庭園です。
北大手門(重要文化財)
「北大手門」は道をはさんだ向かいに京都所司代屋敷があったので、その連絡門として使われたのだと思われているようです。正門である「東大手門」に対して控えの門としてふさわしい威容を備えていると言われている。
今回恵まれて世界遺産である二条城に行くことができましたが、全体を見るのに2時間と入り口近辺に書かれていましたが、やはりゆっくりと見るのには、時間がかかりそうです。そして二の丸御殿はありきたりですが“凄い“に尽きます。カメラマンとして写真を撮れないのは非常に悔しい思いです。もうすぐ桜の季節ですので、是非、皆さんも桜の時期に二条城に来られてみてはどうでしょうか。